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四つ割の南無阿弥陀仏碑(東白川村
 この名号塔は、天保6年(1835)7月、飢饉、悪疫等に対する祈願と犠牲者の供養のため、かつての常楽寺の山門わきに建立したものである。
 刻まれた6字の名号は、当時の苗木の城主遠山家の菩提寺雲林寺の住職遂安の筆になるもので、1字の大きさは、米1升(約1.8リットル)が入るといわれ、近郷の善男善女からは「ごいっしょうさま」と崇められた。
 明治3年(1870)苗木藩が強行した廃仏毀釈(きしゃく)の嵐は、この塔にも及んだ。藩役人から「塔をこわせ」という命令が出ると、急拠もとの製作者伝蔵が呼び寄せられ、取りこわしに当たることとなった。伝蔵は、後世に期するところがあったのか、この塔を打ち砕いてしまわず、節理に従って見事に縦4つに割ったのである。4つ割にされた碑は、付近の池や畑の脇石あるいは踏石として名号を伏せて積み込まれた。また台石は、現在の東白川村役場前東南隅(すみ)の角石とされた。
 その後、昭和年代に入って日本が激動期の波に揺られ、人心も生活不安にかられていたころ、村内に悪疫が流行し、不幸が続出した。だれ言うとなく「石仏埋没のたたり」といううわさが流れた。これが動機となって、昭和10年(1935)当時の消防組の指導者を中心となり、四散した石材を集めて現在地に再建したものである。
 この塔は、廃仏毀釈がいかに厳しく徹底して行われたかを最も顕著にもの語る証拠物としてその歴史的価値が高い。
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